2022年末、20年以上に及ぶ上海生活に一端ピリオドを打ち、息子の中学受験のため本帰国した我が家。(夫は後から合流予定)
大人になってからのほとんどの時間を上海で過ごしてきた私と、産まれてからほとんどの時間を上海で過ごしてきた夫と息子。そんな「ほぼほぼ上海人一家」が日本に移住、しかも中学受験に挑戦という大きすぎる決断をするに至った背景や、受験準備、引っ越しや移住手続きなど、怒濤の体験をシリーズでお届けいたします。
第1回目の今回は、こんな大胆すぎる決断をするに至った理由について。決断の背景には世界を驚かせたあの政策があったのです・・・。
- コロナ3年目でまさかの、また、あれ!?
- 手のひら返しのロックダウン。もう何も信じられない。
- 心がポッキリと折れた、上海ロックダウンの日々。
- 暇つぶしでオンライン帰国子女受験セミナーを受けてみたら・・
- 帰国子女アカデミーのオンラインコース
コロナ3年目でまさかの、また、あれ!?
コロナが世界を一変してから3回目の春節休みが終わり日常に戻った2022年2月。上海ではコロナ3年目にしてこれまでなかったほど感染者が急激に増えはじめ、突然始まるビルやマンションごとの封鎖におびえながらもまだ、日常の日々が送れていました。
しかし、3月に入ると市内の学校がまさかの一斉にオンライン授業に。。。
2020年の半年に及ぶオンライン授業の悪夢がよみがえり、親たちはパニック状態。それでも、きっと4月頭の清明節明けには学校に行けるはず。2,3週間の辛抱よ、とママ友同士で励まし合っていました。
が、結論から言うと、小学校最終学年(中国の小学校は5年制)だった息子は、この後1度も対面授業を受けることのないまま卒業することになるのです・・。
手のひら返しのロックダウン。もう何も信じられない。
学校はオンラインになっても出勤は続けていましたが、感染者はもちろん、濃厚接触者、濃厚接触者の接触者が出たビルはなんの前触れもなく突然閉鎖され着の身着のまま会社に何日も缶詰にされるという状況が頻発。いつ自分が会社や出先で閉じ込められるか怯える日々を送っていました。
そして3月末になると「上海市全体がロックダウンするらしい」という噂があちこちから聞こえるようになりました。武漢のロックダウンの過酷さは誰もが知るところでしたので、人々は戦々恐々。しかしこの噂はすぐさま政府によって否定され、噂を流した犯人とされる人が逮捕されるに至ったのです。市民たちは「よかった、ロックダウンはないんだ」と安堵したのですが・・。
ロックダウンを否定したわずか数日後、市政府は「上海市を西と東に分けて時間差それぞれ4日間のロックダウンを実施する」と発表したのです。
「は???」ですよ。つい数日前、「ロックダウンはしません!(キリッ!)悪質な噂を流した犯人は逮捕しました!(どや!)」って言ってた同じ口が「明日からロックダウンします~」。もちろん、ロックダウンの噂を否定したことなんて1mmも触れず、完全になかったことになってます。
この国、やばいかも・・私のこの国に対する警戒心レベルが一気に2段階くらいあがった瞬間でした。
心がポッキリと折れた、上海ロックダウンの日々。
「上海の東と西それぞれ4日間のロックダウン」。我が家がある東側は3月28日から始まり、4月1日に終わるはずでした。
しかし4月1日に解除されることはなく、西側も4日という約束は当たり前に反故にされ、上海全体が終わりの見えないロックダウンに突入したのです。
ロックダウンといっても、欧米では散歩したり近所のスーパーに行ったりということは許されていたようですが、上海のロックダウンは文字通り家から一歩も出ることができません。出られるのは唯一PCR検査を受けるときだけ。
太陽は心地よく木々の緑や鮮やかな花の色が美しい4月。上海の人々は美しい花を愛でることもできず、春の爽やかな空気の中散歩することも許されず、ただただ家にとじこもっていたのです。
ただでさえ鬱々とする引きこもりの日々、一番堪えたのは食べ物の問題でした。
家から出られないのなら宅配を利用するしかありません。でもネットスーパーは毎朝5時のオーダー受付開始から数分で配送予約一杯となり買える見込みはほぼゼロ。しかも、買えたとしても品薄すぎて本当に欲しいものなど買えません。
頼みの綱は配給。しかし配給は「街道」という末端の行政単位がそれぞれ独自に手配したため、街道によって配給内容に大きな差がありました。
我が家の所属する街道はかなり行けていない部類で、まず、ほかの地区が配給をかいししても全く音沙汰なし。他の地区から遅れること10日ほど、やっと届いた配給は偽物ブランドだらけ。本当にほしいのは米や肉や乳製品なのに、届くのは東南アジアの怪しいインスタントラーメンやら得体の知れない真空パックの肉やら・・「おまえらはこれでも食っとけ」と言わんばかり・・。
さらには街道の役員の横流しや横領が次々と明らかに。
上海の人々が、コーラ1本手に入らず、物々交換の日々を送っているとき、街道役人の会議室に飲み残しのコーラーやビールが散乱している動画などが出回り、この国の政府、役人、システムすべてに対する不信感がピークに達したのでした。
暇つぶしでオンライン帰国子女受験セミナーを受けてみたら・・
食べたいものが食べられない、ではなく、食べ物がない、という切羽詰まった悩みを21世紀の大都会上海で抱えることとなるとは・・。きちんと3食食べられる囚人の方がまだましなのではないかとさえ考えてしまうほど、精神的にも肉体的にも追い詰められたロックダウンの日々。そんな極限状態のなかでも自分を保てたのはママ友たちのおかげでした。毎日愚痴を言い合い、笑いを共有し、励まし合い、そうやってママ友とのコミュニティーに支えられる中で教えてもらったのが、上海在住日本人向けの「帰国子女中学受験セミナー」でした。
この時点では、帰国子女受験をするなんてつゆほども考えていませんでした。せっかくお受験で入った小学校ー高校の一貫校。中国のインターナショナル教育の中ではトップクラスだし、どうか、高校まで退学にならずに行けますように・・そんな風に考えていました。
でもまあ、ロックダウンで家に閉じこもり、やることもないし。暇つぶしで聞いてみようかな、とそのセミナーに申し込んでみたら、びっくりするほど感銘を受けてしまったのです。
セミナーに登場するのはすべて帰国子女枠のある学校。帰国生は英語のみで受験できたり、多くても3科目、それも英語がメインだから国語や算数は参考程度にしか見ませんよ、というところが多く。つまり、英語さえなんとかなれば、日本にいて普通に中学受験しようと思ったら到底入れないようなハイレベルな学校にも入れる可能性があるというのです。
しかも私が心引かれたのは、合格しても学籍留保で元の国にもどって、中高6年間の中で帰国したときにいつでも戻れるという制度。どの学校にもあるわけではないと思いますが、説明をしてくれた学校は、そのような生徒が少なからずいるとのこと。
このまま上海での生活を続けるとしても、この国での生活は不確定要素が多すぎる。ロックダウンがいつまで続くのか、もし解除されてもまたいつ同じ状況になるのかもワからない、そんな生活の中で、いつでも日本の学校に行けるチケットを手にしているというのは心理的にもかなりの安定剤になります。
さらには、中学校入試と編入試験を比較した場合、編入の方が圧倒的に難しいので、帰国を考えているなら中学受験のタイミングを逃さない方が良い、というアドバイスもありました。
一連の説明を受けた時点で、私の心は「とりあえず受験に挑戦だけするのもアリかな」という考えにかない傾いていました。
帰国子女アカデミーのオンラインコース
とはいえ、この時点でもうすでに5月半ば。受験まで半年ちょっとしかないのに、何をどうしたら良いかもわかりません。そんな中、セミナーの中である学校の先生が「今年の帰国生合格者はなぜだか全員【帰国子女アカデミー】という塾に通っているということでした」とおっしゃったのです。
では、とりあえずその「帰国子女アカデミー」ってところに聞けば、受験のこといろいろ教えてもらえるじゃなかろうか、とさっそくググってみました。
そしたら、海外でも受講可能なオンラインクラス、それも中学受験クラスがあったのです。
どうせこのまま夏休み突入で、夏休みはサマーキャンプも行けず何もできない日々が続くのだろう、だったら、受験するしないは置いておいて、とりあえず英語能力の向上のためにこのオンラインクラスを受けてみようか・・
そんな考えで、ひとまず帰国子女アカデミーのオンラインクラスを受講することにしたのです。
22年ぶり本帰国と帰国子女受験の記録。
第1回は帰国子女受験と帰国を決意した理由、といいながら、この時点ではまだ帰国をはっきりと決めたわけではありませんでした。とりあえず、受験という選択肢も残しておこう、そのためには何やら帰国子女受験界隈ではマストといわれる帰国子女アカデミーのオンライン授業を受けてみよう、その程度だったのです。
次回、帰国子女アカデミーとは、そしてどのようにして本気の受験、本気の帰国へと気持ちと状況が変化していったのかをお届けします。
帰国子女受験シリーズ第2回はこちら↓